平成30年1月14日 豊中町新調地車記念誌撮影
平成30年1月14日は豊中町新調地車記念誌撮影に便乗して豊中町新調地車の撮影をしてきました。入魂式や撮影会は都合が合わず行けなかったので、初めて見させていただきました。(文中の解説にはいたるところ豊中町Uさんの説明を使わせていただいております。利用させていただきありがとうございます。)
当日は結構日差しが強く撮りにくかったです。
まずは大屋根廻りから(向きはだんじりに向かって左右)
枡合には氏神である泉穴師に所縁のある楠一族の物語で統一されています。また、拝殿に地車を据えた際、それぞれの物語がそれぞれその物語の方角を向くように施してあるそうです。
↓枡合正面(北東の高槻市方面):楠公父子訣別 櫻井乃驛
櫻井とは奈良県の桜井ではなく、現在の大阪府三島郡島本町桜井のことです。
よく考えられてますね。
腰廻りです。
ちなみに犬勾欄のところに「瓢箪」と「馬が左に書かれた駒」が見えます。「瓢箪から駒」。この駒とは馬の意味であるが、ここでは駒を将棋の駒と掛けてある。その馬を左馬にする事で【左(サ) 馬(マ)になる】となる。【願いが叶いサマになる地車】と言う意味だそうです。
(facebookのUさんのタイムラインより引用)
後ろに廻ってみます。(向きは後ろからだんじりに向かって左右)
ちなみに「通し枡合」とは初めて聞いた言葉なんですが、facebookのUさんのタイムラインに次のような説明がありました。
通し枡合とは、当町独自の呼称で小屋根の枡合部分を通し枡合と呼んでいます。
これは、基本構造は二重見送りであるのですが、豊中町の小屋根には蛇腹支輪が施してあり、平側の真板は妻側のそれに対して蛇腹支輪の施工の為、組物が一段下がっている構造です。依って妻側•平側で真板に段差が生じるので、天井板が必要な二重見送りには蛇腹支輪は不向きと考えられます。しかし、真板の内側に井桁に下りを組み、それで天井板を支える事により二重見送り構造が可能となります。
また蛇腹支輪とした際は、平側枡合上部が通常よりも二段分低くなるのですが、その事でかえって枡合開口部より中に入ると空間が広がる様な構造となり、例えるなら小穴から模型を覗くような、透視型立体模型【ジオラマ】形式となり、二重見送りには不向き考えられた蛇腹支輪とのコラボも見事に融合されました。
また、こちらの要望であった【小屋根の組物の貫を一切内側に見せない様に•••】との旨も完璧に叶えて頂いた【大下工務店】様の英知に敬意を表し、従来の二重見送りとは一線を画す意味でも、敢えて【通し枡合】と呼称しました。
呼び名の趣意は、一見には奥の深い枡合の様に見えるも、三方の枡合が通っている透視型立体彫刻構造と言う意味で【通し枡合】と呼称しました。
他にも隠れキャラやこだわり満載の地車でした。町の人のこだわり、それを実現した大工さん、彫師さんの技の集大成ですね。
当日は撮影させていただきありがとうございました。まだまだ十分に撮れてない部分もありますのでまた機会があれば撮影させていただきたいと思います。
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