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平成29年 義経八艘飛び特集

1日記事内容が遅れましたが、3月24日は、壇の浦の戦いで平氏が滅亡した日です。(3年前に特集した時も同じ始まりでした。)

壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。(ウィキペディアより引用)

源氏の反攻と平氏滅亡
やがて、潮の流れが変わって反転すると、義経軍はこれに乗じて平氏軍を押しまくる。平氏軍は壊滅状態になり、勝敗は決した。敗北を悟った平氏一門は次々と海上へ身を投じた。

『平家物語』には平氏一門の最後の様子が描かれている。知盛は建礼門院や二位尼らの乗る女船に乗り移ると「見苦しいものを取り清め給え、これから珍しい東男を御目にかけましょう」と笑った。これを聞いた二位尼は死を決意して、幼い安徳天皇を抱き寄せ、宝剣を腰にさし、神璽を抱えた。安徳天皇が「どこへ行くのか」と仰ぎ見れば、二位尼は「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございます」と答えて、安徳天皇とともに海に身を投じた。『吾妻鏡』によると二位尼が宝剣と神璽を持って入水、按察の局が安徳天皇を抱いて入水したとある。続いて建礼門院ら平氏一門の女たちも次々と海に身を投げる。

武将たちも覚悟を定め、教盛は入水、経盛は一旦陸地に上がって出家してから還り海に没した。資盛、有盛、行盛も入水している。

平家の総帥宗盛も嫡男の清宗と入水するが、命を惜しんで浮かび上がり水練が達者なために泳ぎ回っていたところを義経軍に捕らえられてしまった。

剛の者である教経は、鬼神の如く戦い坂東武者を討ち取りまくるが、知盛が既に勝敗は決したから罪作りなことはするなと伝えた。教経は、ならば敵の大将の義経を道連れにせんと欲し、義経の船を見つけてこれに乗り移った。教経は小長刀を持って組みかからんと挑むが、義経はゆらりと飛び上がると船から船へと飛び移り八艘彼方へ飛び去ってしまった。義経の「八艘飛び」である。(ウィキペディアより引用)

ということで前置きが長くなりましたが、本日は「義経八艘飛び」特集です(前回の特集後に撮影した写真を載せております)。

↓春木宮本町 土呂幕左面
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↓岡山町山出 車板正面
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↓桑原町 見送り下連子右面
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↓深井北町 小屋根枡合 右面
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↓西之口(誉田) 土呂幕右平
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↓春木本町 枡合右面
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↓戎町 土呂幕右平
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↓藤井町 小屋根枡合正面
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↓市辺 大連子右平
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↓生野神社地車講 小屋根 枡合右
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↓野田(鳳地区) 小屋根枡合左面
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