今日は先日、清祓式が行われた中之濱町の地車をご紹介したいと思います。
宮入り神社:岸城神社
製作:昭和26年(昭和27年完成)
大工:天野 藤一
彫刻:木下 舜次郎
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「天下泰平中之濱 黒欄干には誉の力士 日掛けで造りしだんじりに 今も息づく濱気質」
中之濱町の先代地車は「水滸伝」と呼ばれた名地車であったが、終戦直前の昭和二十年七月九日に悲劇に襲われてしまいました。空爆で地車を焼かれていかんと、少しでも安全な浜辺へと移動させたところ、皮肉にもそこに米軍の焼夷弾が降り、地車は焼失してしまいました。この光景を目前に見て、地車移動を実行した長老たちは「戦地で戦う若者に申し訳ない」と嘆き「腹を切る」と座り込んだ人もいたそうです。そして戦後、地車のない悔しい思いに耐えること数年、苦しい時代にもかかわらず全世帯公平に十円の日掛けを2年間して資金を調達し、今の地車を造ったそうです。
大工棟梁は、浜の名門大工「大安」の流れを汲む町内の天野藤一師が「町内のために」と初めての地車作事を引き受けた。彫物は熱い町民の心意気に応えて名匠・木下舜次郎氏が刻みました。
「岸和田だんじり讀本」より引用
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そんな熱き想いのこもった地車を金網なしで撮影してきましたので、じっくりとご覧ください。
まずは大屋根廻りからです。(向きは正面からだんじりに向かって)
↓大屋根枡合正面:天乃岩戸開き

↓大屋根枡合右面:神武帝東夷征伐 大和を平定す

↓大屋根枡合左面:後醍醐帝 隠岐より帰る
↓続いて番号持ち

あっ、間違えました。(いつものお約束)
↓番号持ち:第三十八代横綱 照國万蔵

↓松良 右:源頼光 大江山へ鬼退治に赴く
↓松良 左:安宅の関 弁慶義経を打擲

↓縁葛 正面:義士両国橋引上 服部彦七の温情
↓大連子正面:敦盛呼び戻す熊谷次郎直実
↓小連子正面:秀吉清州城登城

↑土呂幕正面:平将門の勇戦
↓土呂幕部分をアップで

↓さらに平将門をドアップで

この歴史の残る地車土呂幕正面の作品は、職人気質で一世を風靡した優秀な彫刻師・木下舜次郎師が、「浜」の町の心意気と地車新調を初めて請け負った町内在住の天野藤一棟梁の熱意に心を動かし、これに十二分に応えた作品であり、「木下舜次郎ここにあり」と世にその名を知らしめた文字通りの名作である。(「岸和田だんじり讀本」より引用)
↓縁葛 右面:吉良邸乱戦 清水一学の奮戦
↓大連子右面:八幡太郎義家 安部貞任を追う
↓小連子右面:秀吉克く屈辱を忍ぶ

↑土呂幕右面:加藤清正 九州征伐
↓加藤清正

↓新納武蔵守忠元
↓縁葛 左面:赤穂義士 吉良邸討入
↓大連子左面:巴御前 栗津ヶ原の勇戦
↓小連子左面:鬼玄番 秀吉本陣単騎乱入

↑土呂幕左面:本能寺
↓明智左馬介光春

↓織田信長

後ろに回ってみます。
小屋根廻りです(向きは後ろからだんじりに向かって)
車板:牛若丸弁慶 五條大橋の出合い

小屋根枡合正面:鶴岡八幡宮放生会

小屋根枡合右面:顔世御前兜奉納~仮名手本忠臣蔵大序~

小屋根枡合左面:小桜責~源平布引滝四段目~
見送り:大坂夏之陣
後正面

奥までズームイン

右面

坂崎出羽守直盛が戦火の中から千姫を救出する場面

左面


素晴らしい彫り物の数々ですね。さすが舜さんです。
新調当時の写真だそうです。


ええもん見せていただきました。撮影ご協力ありがとうございました。
今回の記事は一部「岸和田だんじり讀本」より引用させていただきました。
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